幸せになりたいっ♪

幸せになるための秘訣を紹介します

自分や他者への間違った期待を捨て幸せになろう

 

そもそも、自分が今感じている負の感情って、

キッカケって何なんだっけ?

と深堀りしていこう。

 

例えば「Aさんが嫌い」

とするならば何故嫌いなのか?

そこには必ず理由があるはず。

 

適当に記述すると

アイツといるといつも嫌な思いをする

場の空気を乱す

話が面白くない

とかとか。

 

しかしこれを逆に考えてみるとこうなる。

一緒にいると良い思いをさせて欲しい

場の空気を乱さないでほしい

 

面白い話をして欲しい

つまり、こういった期待を相手に持っていてると言える。

それを叶えてくれないから、負の感情が生まれるのだと思う。

 

これは自分に対しても同様のことが言える。

例えば、「いつも上手くやれない自分が嫌い」とか。

 

これは単純に「いつも上手くやってほしい」という自分への期待。

どんなことでも、負の感情そこには期待を孕んでいる。

 

でも、これって大部分が

「自分勝手な期待の押し付け」でしか無いんですよ

例えば、僕がこの記事のブックマークやコメントが無くて

「なんでなんだよ!お前ら嫌い!」ってなるとするなら

ブックマークやコメントをお願いしていないにも

関わらず勝手にキレ散らかすヤバい人だろう。

 

もっと分かりやすく言うなら、仕事の例が分かりやすい。

上司から言い渡された今期の目標は

「担当プロジェクトで月の売上1億円を安定的に出すこと」だとしよう。

 

難しくない内容だが粛々と目標を達成しても、

評価は上がらなかった。

何故かと上司に尋ねてみると「君に期待していたのは

月1億円を出しながらも、

更に売上を上げてもらうことだった。

君にはガッカリしたよ。」と言われた。

上司の期待を超えられなかったから、

評価は上がらなかった。

だからガッカリされた。

 

しかしながら、その期待はお互いに握れていたものだろうか。

期待とは相手には伝わっていない状態では、

一方的な見えない押し付けにしかならない。

 

しかも、期待している側の本人がそれを無自覚なままでは、

奇跡的に相手が期待を満たさない限り誰も幸せにならない。

まるで呪いだ。

 

特に、ほぼ無自覚なレベルで期待しているものほど厄介だったりする。

 

しかも自分都合で、相手の能力や適性を無視した一方的な

「期待のしすぎ」が起きていたりすると、

もはやそれは実現不可能な願いなのだ。

イライラしてしまうのは、こういった無自覚に近い

レベルの期待を数多く抱えてる場合が多いのかもしれない。

 

伝えられる期待は相手に期待しよう。

ただし、「期待のしすぎ」のないように

そこで大事になってくるのが、

相手や自分自身への期待を誤らないこと。

 

例えば、「サッカーがヘタクソなB君が嫌い」

という感情は、「サッカーを上手にプレイして欲しい」という期待だ。

 

しかしながら、B君は運動音痴だったとするならば、

この期待そのものが実現不可能なものかもしれない。

 

だとすれば正しいB君への期待は

「運動音痴だからサッカーが下手でも仕方ない」

というレベルに下がるだろう。

 

そうやって、相手や自分自身を正しく測ることが

平穏な心でいられる第一歩だと思う。

 

鬱病に自分がかかった時、僕は自分自身に

「このくらいの仕事が出来ない自分は駄目な奴だ」

という感情に支配されていた。

 

でも、ぶっちゃけ「仕事なんて出来なくて良い」と今は思います。

 

仕事が出来ないのは自分のせいではない、

それを任せた上司が悪いと今は思います(笑)

もし仕事が上手く出来なくても、あくまで

「その仕事が出来ない」だけで、本人の適性をちゃんと見極めて、

マッチする業務を任せれば活躍しれくれるものなんですよね。

 

だから、得意な仕事を選んでいけばいいし、

苦手なその仕事が出来ないことで、

ネガティブな感情に支配される必要はないんだと今でこそ思います。

「それでも自分はこのくらいできなきゃ自分を許せない!」

なんて思う人もいるでしょう。

 

僕はそれを”驕り”だと思うし、自分に期待しすぎ、だと思います。

 

頑張り屋、努力家、熱心な人とキレイな言葉で

片付けることも出来ますが、

やはり一度しかない自分の人生を、

謎の義務感で締め付けて苦しく生きるのは勿体ないなと。

 

出来ない自分や他人を許し、

適材適所を見つける努力をしたほうが、

遥かに建設的ではないでしょうか。

 

僕は度重なる転職で、

部下より定常業務が苦手な時代もありましたし、

我ながら情けないなとも思う時もありましたが、

自分の得意な分野の業務で貢献することで、

信頼と成果を獲得してきた経験が数多くあります。

 

自分の人生における幸せも「こんなもんだよ」

と期待をし過ぎないことで、自分の人生を肯定できています。

 

その上で、「これだけしか能力がない自分が幸せになるには」

という考えで、慢心なく自分が

どう生きていくかを考えるようにしています。

 

歩みはゆっくりなスケジュールかもしれないけれど、

無理せず穏やかに、小さな幸せを感じる生き方ではないかと思います。

 

とまぁ、こんな感じで普段考えてることを、

拙い文ではありますが、書き出してみました。

 

貴方は普段、どれだけ自分や他人に期待していますか?

一度考えてみても良いかもしれないですね。

 

 

 

どんな生き方をすればいいか知る方

「どんな生き方をしたらいいかわからない」


と生き方が分からない時、

生き方に迷う時は、誰にでもあります。


なかなか自分の思うような人生にならない時、

よかれと思ってやったことが裏目に出た時には、

自分の生き方は間違っているのではないかと思います。


また、今は順調でも、何となく漠然と、

このままでは後悔するのではないかと

思うこともあります。


色々な生き方の疑問や不安が出てきます。

ところが、自分にとって一番いい生き方は、

一体どのように選べばいいのかが、

仏教に論理的に教えられています。

そこでこの記事では、以下のステップで、

生き方に迷う原因と、正しい生き方の選び方を解説します。


これで、人それぞれ、

自分にとって最適の生き方が分かるようになると思います。

なぜ人は、生き方が分からなかったり、

生き方に迷ったりするのでしょうか?

 

誰かと比べるから

 

理由としてよく言われるのは、

誰かと比べて自分の生き方を考えるから、

生き方がわからなくなる、ということです。


テレビをみていると、資産家や、

スポーツ選手のように多くの人の注目を集めている人がいます。


それに比べてみると自分の生き方は

なんてつまらないんだと、

落ち込む人もいると思います。

そこまで有名人と比べなくても、

両親や兄弟姉妹、親戚、友人、知人、隣人、

周囲の人と比べて落ち込む人もいるでしょう。

 

しかし、比べたからといって同じ人生は歩めません。

 

そこで、大事なのは生き方を他人と比べることではなく、

自分自身が納得できるか、

自分が本当にやりたいことを見つけることだといいます。
しかし、どれだけ自分の心を見つめても、

本当に納得できる生き方は見つかりません。

 

それは次の理由からです。

生き方しか考えていないから

生き方がわからなくなる本当の理由は、
生き方しか考えていないからです。
生き方だけ考えていて、

正しい生き方が定まることはありません。

 

なぜなら「生き方」というのは、
「どう生きるか」という
「生きる手段」だからです。

 

手段は、目的を果たすためのものですから、
目的がわからないと手段は決まりません。
目的あっての手段です。

 

生きる目的があって、それを果たすためにどう生きるか
というのが生きる手段であり、生き方です。
生きる目的を知らずに、どれだけ生き方を考えても、
生き方が分かるはずがないのです。

 

次からは生き方と、

生きる目的の関係について、

さらに詳しくみていきましょう。

 

2.生き方と生きる目的の関係

 

生きることを、歩くことや走ること、
飛行機なら飛ぶことにたとえると、
生き方というのは、歩き方や走り方、飛び方にあたります。

 

歩き方や走り方には色々あります。
例えば、歩くのでも、歩幅はどの位なのか、
内股なのかがに股なのか、
どのくらいのスピードで歩くのか
歩くときの姿勢はどうか、人それぞれです。

 

ちょうどそのように、生き方にも色々あります。
学校でどんなことを学ぶのか。
社会に出て、どんな仕事につくのか。
結婚するか、しないか。
20代は独身でいくのか。
結婚しても、子供は生むのかどうか。


仕事に生きるという人もあれば、

仕事を辞めて、育児に専念する人もあります。

 

そのような、自分はどんな生き方をすれば

いいのかをみんな悩みます。


明るく楽しく快適に生きていくのは、

どんな生き方をすればいいのでしょうか?
自分の生き方を決める基準が必要になります。

 

ではどんな歩いたり走ったりする時

の歩き方や走り方の基準は何でしょうか?


どう歩くか、どう走るかはどうやって

選べばいいのかということです。

 

それは、どこへ行くのかという

目的地によって変わります。


なぜなら、歩き方や走り方は、手段だからです。

 

例えば、ゴールが42.195キロ先にある場合、

地面に両手をついて、クラウチングスタート

ダッシュする、という走り方をすると、すぐに力尽きます。


逆に、100m先にゴールがある短距離走なのに、

立ったままのスタンディングスタートで、

駅伝のような走り方をするという人もありません。


ゴールによって、走り方が変わって来るのです。

 

3.生きる目的なしの生き方

 

もしゴールがどこにあるのか分からずに走り続けたら、

必然的にマラソンになり、

走っているうちにどんなに走り方を改善しても、

最後は走り倒れになります。

 

走ると疲れるので、歩いて行こうと思っても、

歩く目的地が分からずに、

歩いているうちに歩き方だけ努力向上しても、

最後はやはり歩き倒れになるだけです。


歩いた苦労が水の泡です。

飛行機でも同じです。
飛んで行く目的地の飛行場が分からずに、

色々な飛び方をしてみても、最後は墜落するだけです。
燃料がったいない、というより、壮絶な悲劇です。

 

ところが、人生も同じような状況ではないでしょうか。
生きる目的が分からずに、
色々な生き方をしてみても、
あっという間に人生は終わって
後悔の人生になってしまいます。生き方よりも先に、
何のために生まれてきたのか、
何のために生きているのか


なぜどんなに苦しくても自殺してはいけないのか
という生きる目的が、もっと大切なのです。

 

ところが、その生きる目的を誤解している人があります。

 

4.よくある生き方の誤解

 

生きる目的は何ですか?」
と聞くと、政治や経済、科学や医学の進歩だと
思っている人があります。

 

確かに政治や経済、科学や医学は、生きるために必要です。
それはとりもなおさず、政治も経済も科学も医学も生き方であり、
どう生きるかという生きる手段ということです。

その理由が一番分かりやすいのは医学です。


医学は、どうすれば快適に、

一秒でも長く生きられるかということですから、
やはりどう生きるかという生きる手段です。

快適に生きていく第一条件が、健康です。


どういうものを食べたらいいのか、

どんなものを飲めばいいのか、睡眠や運動も大切だと、

みんな健康に関心を持っています。

 

飛行機にたとえると、どうすれば快適に、少しでも遠くへ飛べるか
ということです。
もし目的地の飛行場なしに、
快適に遠くへ飛ぶことばかり追及していたらどうでしょうか?
最後は墜落の悲劇あるのみです。

 

同じように、政治も経済も科学も医学も、
どうすれば仲良く豊かに便利に長く生きられるかという
生きる手段です。
政治は、ニュースで放送されます。
政治の建前は、国民の生命と財産を護ることです。
まさか本音は私腹を肥やすこと、ではないでしょう。
税金はどうすればいいのか、

その使いみちはどうすればいいのかを追及します。


それはどうすればみんながより快適に長く生きられるか、ということです。

特に経済と科学は、どんどん進歩しています。

生き方の向上の先には何があるのでしょうか?

 

5.生き方だけでは安心も満足もない

 

経済なら、お金やものが乏しい貧しい日本が、

経済発展によって、お金もものも足りなくなりました。
飢饉で餓死する人もありません。
生活必需品は誰でも買えます。
経済発展によって、衣食住を整える苦労が緩和されて、

快適に生きられるようになってきたのです。

 

科学なら、農家の方が、畑を耕す時に使っていた鍬(くわ)が、

科学によって耕運機になりました。
非常に快適です。
米作りは脱穀で使っていた「千歯こき」が、

科学の力でコンバインになりました。
つい最近まで川で洗濯していたのが、

全自動洗濯機ができました。
ボタン一つで乾燥まで行けます。
大変に便利に生きられるようになっています。

どれだけ科学が進歩しても、
心からの安心も満足もないのはそのためです。

同じように、お金や財産、地位、名誉などを
生きる目的だと思っている人がありますが、
それらもみな生きる手段です。

それ自体どれだけあっても、
これで満足したということはありません。
「人間に生まれてきたのはこれ一つためであった」という
本当の生きる目的ではないのです。

 

6.生き方だけでは安心も満足もない理由

 

なぜどんな生き方をしたところで、幸せになれず、
心からの安心も満足もないのでしょうか?
仏教では、このように教えられています。

「真・仮」とは、
「真」とは生きる目的
「仮(け)」とは生き方や生きる手段のことです。

「知らざるによりて」とは、
区別がつかないから、ということです。

如来広大の恩徳」とは
「人間に生まれてよかった」という喜びです。
喜びといっても、欲望を満たす喜びとは違います。
人間に生まれてよかったという生命の歓喜です。

その生命の歓喜が起きず、つまらない人生ないのは、
「生きる手段」を「生きる目的」のように思い、
本当の生きる目的と、生きる手段の区別がつかないからだ
と仏教では教えられています。

逆に、本当の生きる目的が分かれば、
それに応じて生き方を選んで行くことができます。

 

7.正しい生き方選びの原則

 

では、どのように生き方を選べばいいのでしょうか?

本当の生きる目的は、仏教に教えられていますから、
浄土宗を開かれた法然上人はこのように教えられています。

「念仏申されんように」とは、仏教を聞けるようにということです。
本当の生きる目的は、仏教に教えられているから
この世は仏教を聞けるように生きなさいということです。

さらにこのように続きます。
「いわく、聖(ひじり)で申されずは、妻をもうけて申すべし。
妻をもうけて申されずは、聖にて申すべし」
結婚して仏教を聞ければ結婚すればいいし、
結婚せずに仏教を聞ければ結婚しなければいい、
ということです。

仏教に教えられる本当の生きる目的が主人で、

どう生きるかという生き方はお客さんですよ、
本当の生きる目的にしたがって、

その時その時の生き方を考えなさい
ということです。

 

本当の生きる目的が分からなければ、
生き方は分かりませんし、
生き方に正しいも間違いもありません。
目的なしの「生き方上手」も「生き方下手」もありません。
生き方が分からずに悩むだけです。

 

ところが、仏教を聞いて、本当の生きる目的が分かれば、
あとは、人それぞれ、
自分に最適な正しい生き方を選ぶことができるのです。
まず生きる目的を知ることが、
生き方選びの原則です。

 

生き方を知りたければ本当の生きる目的を知る

今回は、生き方がわからない方へ、

生き方を知る方法を7つのステップでお伝えしました。
生き方を知るには、先に生きる目的をしる必要があります。
生き方は、生きる目的の手段だからです。
手段は目的があってはじめて、決定しますので、
生き方を知りたければ、まず生きる目的を明確にしましょう。

 

 

 

「話がかみ合わない」はなぜ起こる?原因と改善方法

「話がかみ合わない」はなぜ起こる?原因と改善方法

 

 

「上司や先輩、同僚となぜか話がかみ合わない...」
「自分の話したことが上手く伝わっていない...」

 

など、コミュニケーションの中で相手とのズレを感じることはありませんか?
本記事では、話がかみ合わないときの要因や対処法についてご紹介します。

 

まずは、話がかみ合わない原因について考えていきましょう。
例えば、「ほぼ全員と話がかみ合わないと感じる」という場合は、

自分自身に問題がある可能性が高いです。
ほかの人とは問題ないけど、特定の人とは全くかみ合わない」という場合は、

自分だけでなく相手にも問題があるかもしれません。

私自身も前職の会社に入社したばかりの頃

教育担当の先輩とかみ合わないことに悩んでいました。


入社して日が浅く、ほかの人と話すこともあまりなかったので

「自分はこの会社と合わないかもしれない」と思っていたんです。


しかし、上手くコミュニケーションが取れないのは

特定の相手だけということに気付いたときには、とても安心しました。

 

ほとんどの場合、どちらか一方だけに問題があるのではなく、

複数の要因

が絡んでいます。


また、「仕事の話題はいいけど、プライベートの話や

ちょっとした雑談が苦手...」という人もいるかもしれません。


今回はビジネスにフォーカスした「話がかみ合わない要因」を見ていきましょう。

 

 

「話が漠然としている」

 

相手との認識にズレが生じる要因として、

「話の内容がぼんやりしている」

「主語や述語のないあいまいな会話になっている」

などが挙げられます。


話の抽象度が高いということは、

そのぶん解釈の余地が大きいということです。


情報が足りない部分は相手が想像で補っているため、

受け取り方や解釈の仕方によってズレが生じてしまいます。


相手が推測しなくても内容が理解できるように、具体的に伝えることが大切です。

 

「前提条件がずれている」

 

そもそもの前提や目的の共通認識が取れていないと

、話がどんどん違う方向に進んでしまいます。
例えばビジネスの場であれば、話を始める前に、

議論のゴールや目的、前提条件などを確認しましょう。

 

 

「話の立て方が異なっている」

 

人によって好みの話し方が異なるため、事前におさえておくことが重要です。
例えば、結論から話してほしい人もいれば、順を追って説明してほしい人もいます。
相手のコミュニケーションの好みを知ることで、

お互いにイライラしてしまう...という状況を避けることができるでしょう。

 

「知識の量に差がある」

 

持っている情報量や知識量に大きなギャップがある

場合も、

相手との会話が成り立たないことが多いです。
例えば、新入社員と部長が話すための会議や、

「若手から提案を」と人事が設定したミーティングなど。


そういった場で、既存社員と新入社員の話が全くかみ合わず、

以降それらの機会が設けられることはなくなった...なんてことも。
会社や商材、サービスに対する知識量の差から、

既存社員と新入社員との間にギャップが生じ、こういったことが起こってしまうのです。

 

「頭の中で整理できていない」

 

頭の中を整理せず、思いついたことをそのまま伝えてしまうと、

お互いの理解が浅いところで留まってしまいます。
また、こうしたケースは、話し手だけでなく、

受け手の頭の中が散らかっている場合にも起こり得ます。
議論や会話を進める中で、

「そもそもの目的はこれとこれです」

「つまり、こういうことですか?」

「今の話で出た結論はこうですよね」

と整理することが大切です。

 

対処方法

 

「なかなか話がかみ合わない」と感じたとき、

どのように対処すればよいのでしょうか。
おすすめの方法を紹介します。

 

「話の前提条件を合わせる」

 

「そもそもの前提条件はなにか」

「どこで話がズレたのか」と再度認識のすり合わせを行いましょう。


「私はこういう認識で話していましたが、合っていますか?」

と相手に確認しながら、話を進めることが大切です。

 

主語・述語を明確にする

 

「誰が」「何をするのか」といった主語・述語が

あいまいなまま会話を進めると、認識違いが生じてしまいます。


とくに、急いでいるときや時間がないときほど、

言葉を省略してしまうことが多いです。
仕事の大切な話であれば、

「先ほどのお話はこういうことでしたよね」と確認用のメモを送ってみるのもよいでしょう。

 

相手の理解度を確認する

 

「相手がどこまで理解しているか」

「どこから認識がズレているか」

を確認することも重要なポイントです。


例えば、自分が上司の立場で部下と話をする際は、

「理解できたところまで話してみて」といった形で

確認するのもよいでしょう。


自分が部下の立場で上司と話をする際は、

事前にメモをつくった上で話したり、

「こういった認識で合っていますか?」と確認したりすることが大切です。

 

後日仕切り直しをする

 

あまりにも相手と話がかみ合わない場合は、

日を改めるというのもひとつの手です。
話している内容の重要度や優先度にもよりますが、

「一度この話は持ち帰ってもいいですか」と打診してみましょう。


相手の意見を自分なりに整理したり、

伝えるべきポイントをメモにまとめたりといった十分な準備を行い、

後日仕切り直しすることをおすすめします。

 

頭の中を整理して伝える力を鍛える

 

言語化は、頭の中のことを、相手が理解しやすいよう整理し、

まとめ、分かりやすい言葉で伝えるという一連のプロセスです。


当たり前ですが、そもそもの頭の中が散らかっていては、

その後のプロセスも上手くいきません。


自身の思考を整理していく力が求められますが、

ここで有効なのが「論理的思考」です。


論理的思考は、「複雑なものをシンプルにしていく思考法」です。


正しい論理構造の組み立て方や

、因果関係の捉え方も身に着けることができるので、

相手が理解しやすいのみならず、

納得性のある伝え方もできるようになります。

 

では、相手と上手く意思疎通ができる人は、

どんなことを行っているのでしょうか。

例えば、下記のようなポイントを実践している人が多いです。

 

会話内容だけでなく、表情なども含めて相手のことを理解しようとしている

 

相手の話をよく聞いて、自分の理解度を常に意識している

 

抽象度の高い言葉を避けたり、的確な言葉を選んだりしている

 

相手がどのように受け取っているのか、確認しながら話している

 

相手が伝えたいことや意図を汲み、共通認識が取れる言葉に置き換えている

重要なのは、自分が伝えたいことを一方的に押し付けるのではなく、

相手に合わせてコミュニケーションを取るということです。


上記のポイントを意識して行動することが、

意思疎通をスムーズにする第一歩となるでしょう。

 

分かりやすく話すには、論理的思考の習得がおすすめ

言語化は、頭の中のことを、相手が理解しやすいよう整理し、

まとめ、分かりやすい言葉で伝えるという一連のプロセスです。


当たり前ですが、そもそもの頭の中が散らかっていては、

その後のプロセスも上手くいきません。


自身の思考を整理していく力が求められますが、

ここで有効なのが「論理的思考」です。


論理的思考は、「複雑なものをシンプルにしていく思考法」です。


正しい論理構造の組み立て方や、

因果関係の捉え方も身に着けることができるので、

相手が理解しやすいのみならず、

納得性のある伝え方もできるようになります

「話がかみ合わないことが多いな...」

と悩んでいる人は、どういうシーン・話題でかみ合わないのかを

突き止めることから始めてみましょう。

生き方は自分で選択するもの。他者と比較する必要なんてない

生き方は自分で選択するもの。他者と比較する必要なんてない

 

「自分らしく生きたい」と思いつつも、

ついつい他人と比べてしまっている瞬間はありませんか?


キャリアや生き方を他人と比べることに、

どれくらいの意味があるのでしょう。
今回は、そのことについて考えていきたいと思います。

 

何か大きなことを成し遂げた人の映画や書籍を見ると、

自分の存在や人生がなんだかちっぽけなものに

感じてしまうことはありませんか?

「自分が生きていく方向(志)」を見つけるため、

そもそも志の大小や良し悪しは、誰が決めるものなのでしょうか?

 

客観的な指標らしきものはあるかもしれませんが、

実際には、誰にもそんなことは分かりません。


たとえば、「学者になりたい」という志と

「経営者になりたい」という志は、どちらが良い志なのでしょう?


どちらが良いとは言えませんよね

志や生き方は他人と比較するものでありません。


大事なことは「自分にとってどうなのか」という点です。

 

中には、「社会のためになる要素が含まれていない目標は、

志とは呼ばない」と言う人がいます。
その人にとっては、そうした要素が志にとって必要なのでしょう。


しかし、自分のためだけに生きている人が

一生懸命取り組んでいることは志ではないと、

他人が決めることはできません

たとえば、自分のことばかりを考えて

大儲けした社長がいるとしましょう。


彼が儲けたということは、合法的に彼の会社が

営まれている以上、たくさん納税してくれることになるので、

結果的に社会のためになっています。

もちろん、「社会のため」を理念に動いている会社や

団体があってもよいでしょう。


どちらが良い悪いという話ではなく、

その経営者がどのように生きたいか、

どのような組織を作りたいかという、

選択の問題」なのです。

 

生き方やキャリアにおいて大事なことは、

それが「選択の問題」だというとです。


自分で選択した道だということを理解しておかないと、

何でも人や環境、会社のせいにして、文句ばかり言う人になってしまいます。
自分の人生は、自身の選択の積み重ねによって形成されている

ことをしっかりと認識しましょう。

一度しかない自分の人生をどのように生きていくか。


自分の心と納得するまで対話し、

自分なりの生き方を選択していただければと思います。

 

最高の自分を引き出すための思考法 ~禅に学ぶ~

企業やスポーツチームに対してメンタルトレーニングを行ない

個人、組織のパフォーマンスを高めることに尽力している

メンタルトレーニング専門のドクター。

「禅脳思考」という、心の状態を整えるための

思考法を紹介しています。

 

禅脳思考をすれば、常に心に「揺らがず」

「とらわれず」の状態を自分自身でつくり出すことが可能。

目の前で起きたことに対して、

無理に意味を書き換えることなく、

あるがままに心を整えるメソッドです。

 

そして禅的思考を身につければ、

座禅を組むことなく、座禅をしたときと

同じような心の切り替えができるのだそうです。

 

根底に根ざしているのは、

チクセントミハイ博士が1970年代後半に

行動科学の観点から唱えた

「行動の内容に関係なくパフォーマンスが

発揮されるときの心の状態は共通していて、

それはフローの状態」というもの。

 

ここに日本的な感性を交えて、

「揺らがず」「とらわれず」

の心の状態だと表現しているのだといいます。

「仕事で最大のパフォーマンスを発揮する法」

を見てみたいと思います。

「一生懸命が楽しい」という思考

「楽しい」という感情を仕事に関係なくつくり出すのが

「禅脳思考」。その特徴は、仕事に「楽しい」を

見つけるのではなく、思考することで自分自身

の心に変化を生み出すことだそうです。

 

子どものころ毎日が楽しかったのは、

それが結果などに関係のない楽しさだったから。

ところが大人になるにしたがって認知脳の暴走が起こり、

「なぜ、一生懸命しなければならないのか」

「一生懸命にやるならなにをくれるのか」

「一生懸命が楽しかったのに苦しい」

などの位置づけが起こってくる。

 

しかし、かつては誰もが子どもだったので、

「実は一生懸命が楽しい」ことを知っている。

つまり「一生懸命を楽しもう」と考えれば、

誰もが心に"フローな風"を吹かせられる

はずだとしています。

 

最近では、「人間には、一生懸命を楽しめる遺伝子がある」

という研究があるのだとか。

しかし一生懸命の楽しさを体感することなく生きていると、

不要な遺伝子はOFFになり、

反応しなくなると言われているのだそうです。

だからこの遺伝子をONにして、思考することが大切。

 

「一生懸命を楽しもう」と思考したときに感じる

「楽しい」は、外界を変えることでも、

外界に依存するわけでもなく、自らつくり出した感情。

このすばらしさに気づかせるのが禅脳思考なのだそうです。

 

「心を整える」3つの自己ツール

「外界に頼らず、自分で自分の心を整える」

これが、禅脳思考の基本。そしてその中心は、

脳、すなわち自分の思考。そう思考してみるだけで、

認知脳の暴走は落ち着くのだそうです。

認知脳の世界では、外界の三要素「環境」

「出来事」「他人」に意味づけをしながら、

それに反応して感情が起こり、心の状態が決まるのだとか。

 

だから心を外界に持っていくことができ、

その表現として、表情や態度があると考えられているといいます。

いわば自分自身の表情や姿勢は、

外界のものに支配されてしまっているということ。

 

「自分の心の状態は、自分で整える」という意識のある人は、

自分の表情や呼吸、姿勢を大事にしているもの。

それは自分の表情次第、呼吸次第、姿勢次第で、

心の状態に変化をもたらすことができるから。

 

外界に関係なく笑顔でいると、人間はフローに傾きます。

つまり「外界→認知→意味づけ→心の状態→表情・呼吸・姿勢」

という認知的な流れのなかで生きているものを、

「自分→ライフスキル→禅脳思考→表情・呼吸・姿勢→心の状態」

という逆の流れにしていくべきだということ。

 

実際に「笑顔でいること」「深呼吸をすること」

「姿勢を正すこと」は心を整えるために大切ですが、

禅脳思考はあくまで思考。

よってその前に、「笑顔でいようと考える」

ことの重要性を、著者はより深く訴えているのだそうです。

 

「深く大きな腹式呼吸をしよう」

「背筋を伸ばして、姿勢を正そう」と考える。

その思考が認知の暴走を鎮め、

自分方向に向かうベクトルを脳内に生じさせるため、

フロー化しやすくなるのだといいます。

 

禅脳思考では、まず「ノンフローになった自分に気づくこと」

すなわち、自分の感情に気づくことを重要視するそうです。

するとスキル化されている禅脳思考が自動的に働き、

心の状態がどんどんフローになる。

そのためにも「表情」「呼吸」「姿勢」を自己ツールとして、

笑顔でいよう、呼吸を深くしよう、姿勢を伸ばそうと

考えてみるべきです

禅脳思考とは?

最後に、著者が提唱する禅脳思考をまとめておきます。

 

自分の感情に気づく。

意味の付いていない外界に自分で意味付けを

しているということに気づく。

不快対策思考をしている自分に気づく。

知識への裏切りに気づく。

自分の心は自分で決めると考える。

自分の機嫌は自分でとると考える。

フロー状態の価値を考える。

好きなことを考える。

一生懸命を楽しむと考える。

言葉を選択すると考える。

表情を選択すると考える。

態度を選択すると考える。

今に生きると考える。

与えると考える。

ありがたいと考える。

頑張れと考える。

思いやると考える。

ありたいあり方を考える。

◯◯してあげると考える。

 

やや難解で観念的な部分があるようにも思えますが、

禅脳思考は行動の質を変え、

時間の質をよりよくし、

人生の質を豊かにしていく最高の宝物だとしています。

 

心をフラットな状態にして読み込めば、

新たな価値観を見つけ出すことができるかもしれません。

整頓の“正しいコツ”を押さえよう

使いやすいようにモノを配置する「整頓」では、

モノが多いと作業が難しくなります。

 

そこで、まずモノを減らしてから整頓をするわけですが、

減らしたにもかかわらず問題が解決しないときもあります。

 

このような場合は、

整頓の正しいコツを学ぶ必要があるでしょう。

 

整頓の目的は、

(1)機能性を高める、

(2)美観を高めるの2つです。

 

(1)は必要なモノが必要なときに

すぐ出し入れできる状態にすること、

 

(2)は見栄えをよくすることです。

 

まず、オフィスの機能性を高める第一歩は、

モノの置き場所を決めることです。

「大体決まっています」という声が聞こえてきそうですが、「

大体」では置き場所を決めたことにはなりません。

定位置を徹底的に決めることが必要最低条件なのです。

 

置き場所を決める基準は使用頻度。

よく使う物を近くに、

あまり使わない物は遠くに配置する、

というのが基本です。

 

理想は、「上から見てすべての物が一目で分かる状態」

つまり、モノをできる限り重ねず、

縦置きを心がけることが、

一動作で取り出せる状態を可能にします。

 

また、片づけでは、

美観を高めることへの意識がとても大切です。

美観は、その場の美しさだけに留まりません。

オフィスの場合はもう1つ大きな意味を含んでいます。

「美しさはより一層の美しさを呼び起こす」ということです。

 

美観を高めることは、

オフィスの中に1つの美しく整った

スペースを生み出すことであり、

そのスペースはさらに別の美しく整ったスペースを作り出す

きっかけになります。

 

正しい整頓でオフィスの機能性と美観を向上させることで

より快適で仕事がはかどる職場環境を手に入れることができるのです。

仕事の不安を解消する3つのヒント

職場で沸き起こる不安にどう対処するか

クライアント企業にアドバイスするため、

ひとつのフレームワークを考案しました。

 

不安をただ抑えるだけでなく強みに

してしまえるこのフレームワークは、

たったの 4ステップから成り立っていますが、

実に単純明快です。

ヒントその1

~プランを立ててみる~

不安とは根深いもので、

それに対処するのは容易ではありません。

 

よって、変化を促すには明確なプランが

必要になります。

簡単なもので構わないので、

まず次の問いかけからはじめてみましょう。

 

  • 何が不安なのか
  • 不安になったとき、どんな行動に走ることが多いか
  • 不安に押しつぶされたら、どんな不都合が起こるか
  • 不安を味方につけるためにはどんな行動はやめたほうがいいか。
  • 逆にどんな行動をはじめるのがいいか

このプランは、ひとりで立ててもいいし、

アドバイザーと一緒に立てても構いません。

いずれの場合でも、

チーム全員とプランを共有することでさらに具体化させ

、全員がプランに従って行動に移す必要があります。

 

 

ヒントその2

~不安を声に出して一度向き合ってみる~

不安にオープンに向き合える指導者ほど、

うまく対処できる確率が高いです。

 

これを言うは易しなのですが、

まず不安を言語化して理解しようとする

ところからはじめるといいでしょう。

 

不安に向き合うことの重要さは研究でも

裏付けられています。

指導者が不安を的確に言葉にすることで、

問題解決に向けての戦略を練ったり

試行錯誤したりがスムーズに運ぶます

 

また、不安が完全になくなることはないものの、

対処法を考えているうちにだんだん

和らいでいくことも明らかにしました。

 

ストレスの多い事態や不安を、

成長の妨げではなく、

むしろ学びのあるチャレンジとして捉えられる

指導者はより良い成果を出す傾向があります。

 

ヒントその3

~不安を共有してみる~

 

不安の正体を認識して書き出せたら、

それをチームメンバーと共有してみましょう。

 

不安が原因で指導者のパフォーマンスが

落ちていると感じるか尋ねてみましょう

 

共有するのはチームメンバーでもいいし、

指導者と密に仕事をしている人でもいいでしょう。

 

この場合、指導者自身が不安をまず言語化し、

さらにその不安に駆られることでどんな支障を

きたしているかを共有することからはじめましょう。

 

指導者らが不安に対するお互いの経験談

心境をオープンに語り合うことで、

これまでの望ましくない態度の原因への理解が深まり、

率直に話せる環境を醸し出すことで個々の

チームメンバーも安心して不安を口に

することができるようになります。

こういったフィードバックを募ることで、

指導者も自身の不安を受け入れやすくなります。

 

今後控えてもらいたい行ないや、

逆に続けてもらいたい行動などの具体的な

フィードバックをもらったら、

今度はそれらの行ないを意識的に

変えていくようチーム全員に

積極的に関わってもらうことがよいでしょう